彼方の手

スープのあしあと

この指を 撮らせて下さい。

寒くて凍えているのかと、摩って伸ばしてあげようとしても、痛くてもう伸びない。

20年の路上生活の中で、気がついたら、第一関節から先が曲がって伸びなくなっていた。

「この手で、良いときは、左官で日当3万円を稼いだ。若いときは、新聞配達もした。苦労したんじゃ。」

その自分の指を 遙か遠くを望むようにみつめる。

31日、年末年始の連続路上訪問、一日目の夜。この日は普段は訪問していない箱根山(新宿区)を訪問した。公園を含む箱根山一帯を訪問して3人しかお会いできなかった。そういう状況だからだろうか、私たちを含むボランティアや支援団体の類とは会ったことがないという。

 大きな通りに面した公園の片隅に、押しやられるように束になった数枚の毛布。一見、人がいるとは思えないそのなかに、文字通り埋もれていた。

69才。三十年前に、一念発起して長崎県五島列島から上京。左官の仕事は50才を境に減っていった。路上生活を送るようになっても、しばらくは仕事があった。最後の仕事がいつ頃だったか、もう思い出せない。

 新宿区役所に相談に通っていたこともある。しかし、その道も分からなくなってしまった。

20年、随分と苦労されたんですね。そろそろ、あたたかい布団で楽をしてもいいんじゃないですか?

生活保護制度の利用を勧めると、はい、と曖昧に頷く。急な話に戸惑っているのか。それとも、区役所での相談の過程で嫌な思い出でもあるのか。

 年が明けたら、また訪問に伺うことを約束する。これからの暮らしのご希望を、よかったら聞かせて欲しいと。それで、もしよかったら、一緒に福祉事務所に行きましょうと。

せっかくお家に住むんですからねぇ。お父さん、どんなお家に住みたいですか? 長く住むことになると思いますからね。遠慮することないですよ。希望は出しといた方がいいですよ。

どこでもいいよ、とほほえんでくれて。

「まず大事なのは、屋根が欲しいなぁ。それから一日300円ぐらいでもいいから、収入が欲しいなぁ」